ブランド&周辺を知ろう。 List
※重複するものは
削除しています。★ファッション系ブランド - アナスイ
- アニエス・ベー
- 三宅一生
- イヴ・サンローラン
- エドウイン
- エルメス
- ガールイズガール_バイニコラ
- カルバン・クライン
- グッチ
- クリスチャン・ディオール
- 高田賢三
- 小西良幸
- 渡辺淳弥
- ジバンシィ
- シャネル
- ジャン・ポール・ゴルティエ
- ジョルジオ・アルマーニ
- セオリー_(ファッションブランド)
- ダナ・キャラン
- ドルチェ・ガッバーナ
- トミー・ヒルフィガー
- 森英恵
- プラダ
- フェンディ
- サルヴァトーレ・フェラガモ
- ポール・スミス
- ミュウミュウ
- ファーストリテイリング
- 山本耀司
- ランズエンド_(企業)
- リーバイス
- ロエベ
★化粧品系ブランド - エスティ_ローダー株式会社
- 花王
- カネボウ化粧品
- コーセー
- 資生堂
- ダリヤ
- ノエビア
- ホーユー
- ポーラ化粧品
- マックスファクター
- マンダム
- メナード化粧品
- エスティ・ローダー
ブランド、 「焼印をつけること」を意味するbranderという古ノルド語から派生したものであるといわれている。 そんなことはまったく知りませんでした。ブランド品を身に着けている方がたくさんいるこの現代の日本は、ある意味、ブランド用品を身につけれるほと裕福なのですね。しかしその裕福さの裏側には並々ならね人々の努力があるんだと思います。(個人的にはブランドではなくても自分にとって便利で価値がある商品ならOKな自分です。)
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2007/12/10 日記<三宅一生>
三宅一生
三宅 一生(みやけ いっせい、ISSEY MIYAKE、1938年4月22日 - )広島県広島市東蟹屋町(現東区 (広島市)|東区東蟹屋町)出身のファッションデザイナー、近代美術と現代美術|現代アーティストである。広島大学附属東雲中学校、広島県立広島国泰寺高等学校、多摩美術大学図案科卒業。来歴
1945年8月6日、爆心地から4キロの東雲小学校の教室で原爆の閃光を見る。「今でも目を瞑れば浮かんでくる、嫌な色だ」と語っている。爆心地から2.5キロの自宅で大やけどを負った母は4年後に亡くなる。幼少期から優れた美的センスを発揮、一貫して美術部に所属。焼け野原から復興する広島の街、特に高校の近くにあった丹下健三設計の平和記念公園やイサム・ノグチが設計した平和大橋のデザインに感銘を受ける。上京し多摩美大に入学。在学中からすでに彼の行動力は際立っていたといわれ、装苑賞の第10回(1961年)、第11回(1962年)と2年連続で現在の佳作にあたる賞を受賞、頭角を現した。第1回コレクションは1963年に発表した「布と石の詩」。しかしファッションを独立したデザイン社会と認知しない当時の日本のファッション環境に苛立ち、卒業後第2回コレクションを発表した後、フランス・パリに渡り、1966年ギ・ラロッシュのアシスタントとなる。バレンシアガの元で働くことを望んでいたものの、1968年にバレンシアガが引退したため、その一部を引き継いだジバンシーでアシスタント・デザイナーに就く。パリモードがオートクチュールからプレタポルテに移行する時代、実用的な衣服をデザインすることで、人の在り方を表現するプレタポルテの若手デザイナー達に大きなショックを受けた。1970年日本に帰国後、「三宅デザイン事務所」設立。翌年2月にはニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。1973年には、パリで「イッセイ・ミヤケ秋冬コレクション」を発表。日本の着物から発想した「一枚の布」で身体を包み、いかに立体的な西洋服のフォルムに組み立てるか、“西洋”でも“東洋”でもない衣服の本質と機能を問う“世界服”を創造。布と身体のコラボレーションというべきスタイルの確立は、1978年発表の「Issey Miyake East Meets West」で集大成された。コンパクトに収納できて着る人の体型を選ばず、皺を気にせず気持ちよく身体にフィットする1980年代後半に発表された代表作「プリーツ・プリーズ」はこれらの延長線上にあり、これにより三宅は世界の現代アーティストの一人となった。1990年代以降も世界各都市で開かれる展覧会で常に時代のアートと評価され、その独創的なデザインが世界で認められている。2007年3月、東京都|東京六本木・旧防衛庁跡地に誕生した複合施設「東京ミッドタウン」内に併設されたデザイン拠点「21 21 DESIGN SIGHT(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)」をオープンさせた。1993年、フランスレジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール勲章、イギリス英国王立芸術大学名誉博士号授与。1997年紫綬褒章、2005年 第17回 高松宮殿下記念世界文化賞、彫刻部門[http://www.praemiumimperiale.org/jp/jaahome/home.html]など多くの賞を得た。
1999年には米週刊誌タイム (雑誌)|タイム・アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれる(他の日本人の受賞者は昭和天皇・盛田昭夫・黒澤明・豊田英二・井上大佑)三宅が多摩美術大学在学中より親交のあった白洲次郎・白洲正子夫妻も彼の服を好んで着用した。また、元モデルでテレビ司会者の芳村真理とも古くからの深い親交を持っていることでも知られている。芳村は、彼のデザイナーとしての才能を早くより注目しており、彼の名前がまだ著名ではなかったころから彼のデザインした着用して司会に臨んだり、芳村の司会番組で彼のデザインした服装をファッションショー形式で頻繁に新作を紹介するなど、現在の「イッセイ・ミヤケ」ブランドの構築に、放送媒体を通じて大きく寄与した人物でもある。
この他にも美輪明宏、マイルス・デイビス、ビートたけし、辻元清美など多くの著名人が彼のブランドの愛用者として知られている。たけしはデビュー時、毒ガス漫才で嫌われていたため、「三宅の事務所から着ないで欲しいと言われた」、とよく言っていたが真偽は不明である。ISSEY MIYAKE
彼の作り出したブランド名。イッセイ・ミヤケグループ傘下にはZUCCa・TSUMORI CHISATOなどを展開している株式会社エイネットがある。メンズ・レディス共に手がけており、1992年には香水「オードイッセイ(L'EAU D'ISSEY)」も発売。1993年 代表作「プリーツ・プリーズ」発表
1994年「ISSEY MIYAKE MEN」(メンズ)春夏コレクションよりは、2000年「ISSEY MIYAKE」(レディス)春夏コレクションより滝沢直己がデザイナーを担当している。1998年 「A-POC」発表2007年 秋冬コレクションよりメンズ・レディースともに藤原大がデザイナーを担当する予定である。関連項目
外部リンク
ISSEY MIYAKE Official Site (公式サイト)
■ 21_21 DESIGN SIGHT
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三宅一生について関連サイト情報